Over Cancer Together
サバイバーの声を聴こう
がんを取り巻く様々なテーマを取り上げ、様々ながん種のサバイバーの方が、体験談を語ります。
がん患者さん・ご家族、また医療従事者、製薬企業にお勤めの皆様、どなたでもご参加できます。
ぜひ立場を超えて「がんになっても暮らしやすい社会」のために何ができるか意見交換しませんか?
11:00-11:40 「がんと共に生きるということ」
轟 浩美(とどろき ひろみ)
スキルス胃がん患者 家族会 認定NPO法人希望の会 理事長
スキルス胃がんステージⅣ患者本人であった 夫 轟 哲也が、2014年10月希望の会を設立。
2015年3月よりNPO法人としてスタート。2017年4月より、認定NPO法人となる。
がん告知を受けた後の不安と、孤独、情報の無さが患者会設立の原点。自分たちのように不安な人たちが、全国にきっといると考え、積極的に発信し、全国をまわっている。
国立がん研究センター他、医師の監修のもと、「もしかしたらスキルス胃がん~治療開始前に知りたかったこと~」という冊子を作製。がん対策、研究へのアドボカシー活動、スキルス胃がんの啓蒙、情報発信を行っている。2016年8月、夫の逝去に伴い、理事長に就任。
お茶の水女子大学卒業後、私学の幼稚園教諭として働いてきたが、夫のがんにより退職。
現在に至る。
日暮 弓美(ひぐれ ゆみ)
1965年10月生まれ。2007年、42歳になってすぐにステージ3cの乳がん発覚。
術前化学療法を経て、左胸温存手術。手術後、射線治療・経口抗がん剤治療1年。ホルモン
治療中の2015年卵巣がん発覚。2度の手術後抗がん剤治療をして経過観察に入ってほっとした矢先の2017年春乳がんの遠隔転移発覚と波乱万丈な人生を送っています。
10年前の私はがん患者であることを人に言えず出口のないトンネルの中にいました。そんな私を救ってくれたのががんを経験したことによって知りあった仲間でした。卵巣がんとのダブルキャンサーになったことさらに乳がんの遠隔転移が発覚したことで仲間が増えていきました。「がんになるたび好きな人が増えていく」そう実感しながら毎日を過ごしています。
矢島 美和(やじま みわ)
1967年生まれ、50歳です。48歳の終わりに乳がんステージ4・トリプルポジティブの宣告を受けました。夢の新薬と言われたハーセプチン分子標的薬が良く効き元気な毎日を過ごしています。
仕事で商品訴求や各種説明会、社員研修などのセミナー講師などをやっていた為、乳がんと聞き駆けつけてくれた仕事関係者に「随分、元気じゃない!がんのセミナーやってよ」と依頼を受け只今、各所でがんに係るセミナー講演をやったりしています。人生どんな経験も無駄にならないと実感しています。
大の猫好き。2匹の気ままな猫達と人生の終盤をのんびり生きています。
岩瀬 哲(いわせ さとる)
認定NPO法人キャンサーネットジャパン 理事長
東京大学医科学研究所附属病院 緩和医療科
1994年埼玉医科大学卒業。2012年10月より現職。Palliative Oncology (緩和腫瘍学) が専門。研究テーマは Cancer Transitional Care to Avoid Emergent admission (CTC-AE) 。座右の書は「葉隠聞書」。 元ボクサー。シュガー・レイ・レナードを信仰している。JAZZはダラー・ブラントの「アフリカン・ピアノ」。リチャード・ドーキンスに影響を受け「進化医学」も標榜している。2015年より日本医療研究開発機構AMED研究費(革新的がん医療実用化研究事業)岩瀬班研究代表者。2016年よりTelemedicineを用いたロコモケアに取り組んでいる。
11:45-12:30 「がん患者の仕事とのつき合い方」
鳥井 大吾(とりい だいご)
軟部腫瘍サバイバー
1989年4月生まれ。2014年7月、25歳の夏にステージⅡの左下腿軟部腫瘍が発覚。2週間後に手術を受け腫瘍、神経、血管を摘出する。手術の影響で全く歩くことが出来なくなる。その後1日5時間のリハビリを経て、2ヶ月に経て社会復帰。1年半後にはがん罹患前から勤務していたIT企業を退職。がん罹患者であることを伝えるべきか悩みつつ、転職活動を行う。複数社の内定をもらうも、最終的には自身のがん体験を活かしたい・がん患者のためになにかしたいと想い、2016年4月にがん情報サイト「オンコロ」を運営する、株式会社クリニカル・トライアルへの就職を決める。現在はWebサイト・広告の運用業務、イベント業務を担当している。
野城 郁郎(のしろ いくろう)
1965年生まれ。直腸がんステージ4の診断から、6年が経過しました。
この6年間で、私が感じたことは「がんと向き合う」には、2つの意味がということです。
ひとつは、自分自身の体と前向きな心。2つ目は、自分の周りの人と、真摯に向き合うということです。
治療中は、自分の体のことで精一杯になりますが、体が徐々に回復していくにつれ、
多くの希望、前向きな気持ちが湧いてきます。
しかし、その反面、家族、仕事、経済的なこと・・・・、
これからの生活への不安も膨らんできます。
また、治療が長引くことで、妻の経済的な不安、娘の大学進学への動揺など、
家族の心の負担も合わせて、大きく膨らんできたのです。
これは、あらためて家族と向き合う、良い機会でもあったと感じています。
がん経験によって、夫・父親としての家族への役割、また、その他、いろんなことを感じ、学んだように思えます。
6年前、進学に悩んだ娘も、大学を卒業し、今は社会人。
私の体の回復と合わせて、家族の普通の成長に、喜びを感じています。
和田 瑛(わだ あきら)
1989年生まれ。
看護学生として東京の大学に通っていた2011年4月、横紋筋肉腫と診断を受ける。
10ヶ月の入院生活を経て、2012年春に退院、復学。
病院での実習や就職活動、国家試験を経て、2014年に大学を卒業。現在は地域包括支援センターに保健師として勤務し、地域で暮らす高齢者の相談支援やつどいの場づくりを仕事とする傍ら、がんを経験した看護職の会に参加したり、AYA世代のがん経験者の集いで体験を話したりしている。
砂川 未夏(すなかわ みか)
悪性リンパ腫・乳がん経験者 / キャリアコンサルタント
キャンサー・キャリア 代表
2003年7月、29歳の誕生月に会社の健康診断で異常が見つかり休職し治療。治療中の副作用、復職後の後遺症などで働き方や生き方に悩んだ経験から、キャリアコンサルタントの資格を取得。退職後は、病気になってもならなくても、「自分らしくイキイキと働く・生きる」を応援するべく、個別キャリアコンサルティングやワークショップ・セミナーを開催。行政や大学などで就職支援、企業の従業員や管理者向けの人材育成プログラムの開発や就労継続支援、キャリアコンサルタント育成に携わる。2013年4月より、働くがん患者およびその家族の支援を開始。2014年6月に2度目のがんに罹患するも仕事をしながら治療し、経過観察中。現在は、働き方改革のテーマの一つである「治療と仕事の両立支援」の推進に向けて、全国のキャリアコンサルタントと繋がり、支援体制を整えるべく準備を進めている。
12:35-13:30 「医療者とのコミュニケーション」
木口 マリ(きぐち まり)
フォトグラファー/ライター、子宮頸がん体験者
1975年埼玉県生まれ。38歳の時に子宮頸がんが発覚。手術、抗がん剤治療を受け、さらに合併症のため、一時期は内部障害(人工肛門)に。その経験から、がんを中心とした医療関係の取材を請け負うようになり、患者としてだけでなく、医療や医療者を内側から見つめ発信する仕事を行う。
そのほか、がんや障害の体験を独自の視点で描くブログ『ハッピーな療養生活のススメ』を公開中。日本各地での講演・がん関連のイベント企画・がん体験の中にひそむ、キラリと輝く瞬間が見えるウェブサイト『がんフォト*がんストーリー』運営
杉本 敬子(すぎもと けいこ)
肺がん・乳がんサバイバー
1959年生まれ 看護師。
胸部外科、循環器内科病棟勤務、大学の保健室で学生の健康管理にも携わってきた。現在、小児科クリニックのパート看護師。
52歳の時、肺がんで右肺上葉切除。56歳の時、乳がんで右乳房切除、抗がん剤治療の後、現在も化学療法、ホルモン療法中。
私が看護師として働き始めた頃は「がん」であっても、家族の希望で患者さんに病名を伝えないことの方が多かった。現在ほど情報を得る手段もなく、自分の本当の病気について、医者にも家族にも相談できず、患者さんはかなり不安をかかえていた。今はほとんどの場合、病名が伝えられる。告知されるには覚悟が要るが治療を進めていくためには必要な事。さまざまな方法で情報を入手し、医療スタッフにもストレートに質問でき、その上で数々の選択も可能だ。いい時代にがんになったと思っている。がんになった現実を受け止め、学び、共存しながら自分らしい生き方を選択していこうと思っている。
長谷川 智美(はせがわ ともみ)
遺伝性乳がんサバイバー
1971年5月生まれ。2004年、33歳の時に乳がん(ステージⅡ)が発覚。
右乳房及び脇下リンパ節切除手術後、ホルモン療法を受けていた2007年、
36歳の時に姉といとこの乳がんが立て続けに発覚。
主治医からの勧めで遺伝子検査を実施し、遺伝性乳がん患者であることを知る。
その後、いろいろ悩みながらも縁あって結婚。
夫や家族からも理解してもらい、自身の年齢的な問題や
遺伝性であることを考え、子供は諦めるという選択をした。
現在は遺伝性乳がん卵巣がんの患者団体「クラヴィスアルクス」に入会し
遺伝カウンセラーさんから遺伝性のがんについて学んだり
様々なことを相談したりしながら
自身も遺伝性乳がんの患者であることを生かして
同じように遺伝性のがんを罹患された患者さんの支援を
していけるようになりたい、
そして医療者の方々にも、遺伝性のがん特有の悩みなどについて
もっと知っていただけるよう活動していきたいと考えている。
アキ よしかわ(あき よしかわ)
米国グローバルヘルスコンサルティング 会長
大腸がんサバイバーの国際医療経済学者、データサイエンティスト
10代で単身渡米し、医療経済学を学んだ後、カリフォルニア大学バークレー校とスタンフォード大学で教鞭を執り、スタンフォード大学で医療政策部を設立する。米国議会技術評価局(U.S. Office of Technology Assessment)などのアドバイザーを務め、欧米、アジア地域で数多くの病院の経営分析をした後、日本の医療界に「ベンチマーク分析」を広めたことで知られる。
著書に『Health Economics of Japan』(共著、東京大学出版会)、『日本人が知らない日本医療の真実』(幻冬舎メディアコンサルティング)などがある。
大友 明子(おおとも めいこ)
NPO法人キャンサーネットジャパン(乳がんサバイバー)
第1回OCTセミナーに参加。2010年12月乳がんの告知を受け、左乳房を全摘、現在ホルモン治療中。治療中にBEC乳がん体験者コーディネーター養成講座を受講し、以前から勉強していたコーチングと乳がんの知識を融合し、「主治医に言うほどではないけど、なんかモヤモヤ~な方、集まりませんか?の会」という乳がん患者さんを対象にしたワークショップを毎月都内で開催中。また、現在、キャンサーネットジャパンで、BECの事務局を担当。家族は夫と娘2人(高1・小5)。